距離を取る。
今朝川に出て、魚を獲るために作った罠を仕掛けに行ったんだけど、かなり本格的なカヤック乗りの人に会ったんだよね。ぼくが川原に着いたときには彼はもう準備をしていて、こういうときは挨拶するのが普通だから目があったときにほぼ同時に挨拶して、互いのカヤックを褒めたり、質問したりする。そのうちに「体験の人たちが来る」という言葉から、なんとなくだけど彼がプロだろうと感じた。
数分後の雑談の後の「国交省のミズベリングに乗っかる」や「金銭の手渡しは川から離れればオーケー」という言葉から確信したんだけど、今日ちょっと考えたのは「Noという意思表示がしにくいから、みんな曖昧な表現、あるいはとりあえずYesと言う」のがこの国の文化で、彼の「今度一緒に漕ぎましょうよ!」に「あぁいいですね〜!」と反応したぼくは、今でも十分に日本的だ。彼がしばらくしたら、定年退職後の仕事として牛川の渡し付近で有料のカヤック教室を開くのは大歓迎だけど、ぼくは他人様を自分のカヤックに有料で載せたくないだけ。乗り手がそれを望んでいても。
数日前にアラちゃんに頼まれて、牛川の渡しの乗船客をぼくのカヤックに載せてあげたように、善意で、つまり無料ならぼくは嬉しく感じる。
何年も非日本人との付き合いを続けていると、日本人の本音を隠す習性は耐え難くなる。会ってすぐに「一緒に漕ごうよ」と誘われたのは初めて。流れがちょっと急な浅瀬が雨の次の日には程よく深く、流れが若干遅くなって、そこを上流に向かって昇るのが冒険的で楽しいことを伝えたら、「ありがとう! また教えて」という反応が返ってきたように、罠を仕掛けた位置だって喜んで教える。牛川の渡しを自分の秘密の場所のようにしたい人が多いと、今日アラちゃんが言っていたけど、ぼくはその真逆。いいと思うものを他の人と分かち合う気持ちを味わいたいだけ。
数分後の雑談の後の「国交省のミズベリングに乗っかる」や「金銭の手渡しは川から離れればオーケー」という言葉から確信したんだけど、今日ちょっと考えたのは「Noという意思表示がしにくいから、みんな曖昧な表現、あるいはとりあえずYesと言う」のがこの国の文化で、彼の「今度一緒に漕ぎましょうよ!」に「あぁいいですね〜!」と反応したぼくは、今でも十分に日本的だ。彼がしばらくしたら、定年退職後の仕事として牛川の渡し付近で有料のカヤック教室を開くのは大歓迎だけど、ぼくは他人様を自分のカヤックに有料で載せたくないだけ。乗り手がそれを望んでいても。
数日前にアラちゃんに頼まれて、牛川の渡しの乗船客をぼくのカヤックに載せてあげたように、善意で、つまり無料ならぼくは嬉しく感じる。
何年も非日本人との付き合いを続けていると、日本人の本音を隠す習性は耐え難くなる。会ってすぐに「一緒に漕ごうよ」と誘われたのは初めて。流れがちょっと急な浅瀬が雨の次の日には程よく深く、流れが若干遅くなって、そこを上流に向かって昇るのが冒険的で楽しいことを伝えたら、「ありがとう! また教えて」という反応が返ってきたように、罠を仕掛けた位置だって喜んで教える。牛川の渡しを自分の秘密の場所のようにしたい人が多いと、今日アラちゃんが言っていたけど、ぼくはその真逆。いいと思うものを他の人と分かち合う気持ちを味わいたいだけ。
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