異質性を嫌う人たちがトランプを支持するらしい
権威主義者たちがトランプを支持する、という考察。
朝日新聞、2018.08.23
■政治季評 豊永郁子さん
テレビで報じられるアメリカのトランプ大統領の支持者集会の様子に私たちは衝撃を受ける。憎悪と攻撃性をあらわにして熱狂する人々を目の当たりにするからだ。ここに見る度を越した政敵叩(たた)き、移民叩きは、アメリカ国民に広く支持され得るものなのだろうか?
2016年大統領選挙でのトランプ氏の勝利は、当初、経済的格差や貧困に関連づけて理解され、グローバル化の敗者である貧しい労働者階級の白人有権者がトランプ氏を支持したという物語が広まった。だが、これはトランプ氏を支持した地域の特徴に基づいて語られたものであり、トランプ氏に票を投じた個人についての調査が進むにつれ、異なる様相が浮かび上がってきた。
何より、所得も階級もトランプ票には関係しないことが判明した。世代や教育の影響が論じられたが、それらもトランプ票を十分には説明できない。そんな中、トランプ氏支持を最もよく説明するとして注目されたのが「権威主義」だ。政治体制のことではない。個人に存在する心理的傾向のことである。
アメリカにおける権威主義の研究は、ファシズムを支持した人々の心理的特徴を捉えようとした、ドイツ出身の社会学者アドルノらの1950年の著書を嚆矢(こうし)とする。90年代に政治学者の間でリバイバルがあり、研究の蓄積が進んだ。そして、トランプ氏が共和党の大統領候補に選出された予備選挙の段階で、ある大学院生が発見する。「権威主義者たちがトランプを支持している!」
権威主義者と呼ばれる人々は、2大政党のどちらの支持者にも存在するが、徐々に共和党に集まるようになっていることは知られていた。そうして共和党内で力を増した彼らが党の本流をなす保守主義者たちを抑え、ダークホースのトランプ氏を大統領候補に押し上げたという。さらに大統領選挙の本選では、民主党支持層や無党派層の中にいた権威主義者たちもトランプ氏を支持した。
権威主義者とは何者か。
アメリカの政治心理学者ステナーが2005年に発表した有名な研究によれば、権威主義者は「一つであること、同じであること」を求める。「違い」を嫌い、多様性が苦手だ。強制的手段を用いてでも規律を全体に行き渡らせてくれる強いリーダーを好む。
個人のこうした傾向を意味する権威主義は、普通、あまり表に出てこない。だが、ある条件下で活性化され、表面化する。ステナーは面接調査により、次のような発見をした。権威主義者は、政治指導層に問題があると思う時、あるいは社会から共通の価値観が失われていくと思う時、「違い」に対してより不寛容になる。それは人種関係、道徳観、政治的見解、刑罰など、寛容が問われる全ての領域で起こる。逆に確かなリーダーシップと共通の価値観が保障される時、権威主義者は不寛容を表さず、差別是正など進歩的な社会改革の支持者にもなり得る。
権威主義は決して異常な傾向ではない。誰もが集団に従うことと、個人の自由との間で折り合いをつけて生きている。そのバランスが前者に傾く人が権威主義者であり、その反対がリバタリアン(自由至上主義者)だ。リバタリアンは「違い」を楽しみ、多様性にストレスを受けない。アメリカの白人有権者の44%が権威主義者ともいう。あなたが、私が、権威主義者でもおかしくない。
権威主義は保守主義とは違う。保守主義の不寛容はすでに不寛容が存在している特定の領域に限られるが、権威主義は「違い」全般に不寛容である。保守主義者には受け入れやすい「安定した多様性」を権威主義者は嫌う。逆に権威主義者が好む「共に変わっていく」というビジョンに保守主義者は怖気(おぞけ)をふるう。アメリカには国家の介入を嫌う保守主義の系譜もあるが、権威主義者は場合によっては国家の介入を歓迎する。
面白いのは、権威主義者が子育てに関する質問によって見分けられることだ。たとえば、子供には「行儀の良さ」と「思いやり」のどちらが重要かという質問に、前者と答えるのが権威主義者だ。「行儀の良さ」を重視する人々の間では、どの所得層でも一様にトランプ票が多い。
さて、トランプ氏は大統領選挙に際して、ワシントンの政治指導層の腐敗と失敗を執拗(しつよう)に言い立てた。さらに当時から今日まで一貫して、特に中南米からの移民に関して、犯罪者を多数含む、アメリカ人の価値観とは相いれない不法移民が大量に国内に流れ込んでいる、というイメージを喧伝(けんでん)し続けている。
これらは誇張と虚偽を含む主張だが、少なからぬ人々の権威主義を活性化させた可能性がある。彼らは突如、あらゆる「違い」に不寛容となり、自分たちとは違う個人や集団に対するトランプ氏の攻撃をすべて支持し始めたかもしれない。
トランプ大統領が乗じる不寛容やそのより過激な形態であるヘイトは、経済的困窮が生んだものでも保守主義によるものでもなさそうだ。それは権威主義が人々に引き起こしたものであり、多くの人においては忽然(こつぜん)と現れたとも考えられる。
明日は私たちのことかもしれないと身構える必要はあるだろう。
◇
とよなが・いくこ 専門は政治学。早稲田大学教授。著書に「新版 サッチャリズムの世紀」「新保守主義の作用」。
朝日新聞、2018.08.23
■政治季評 豊永郁子さん
テレビで報じられるアメリカのトランプ大統領の支持者集会の様子に私たちは衝撃を受ける。憎悪と攻撃性をあらわにして熱狂する人々を目の当たりにするからだ。ここに見る度を越した政敵叩(たた)き、移民叩きは、アメリカ国民に広く支持され得るものなのだろうか?
2016年大統領選挙でのトランプ氏の勝利は、当初、経済的格差や貧困に関連づけて理解され、グローバル化の敗者である貧しい労働者階級の白人有権者がトランプ氏を支持したという物語が広まった。だが、これはトランプ氏を支持した地域の特徴に基づいて語られたものであり、トランプ氏に票を投じた個人についての調査が進むにつれ、異なる様相が浮かび上がってきた。
何より、所得も階級もトランプ票には関係しないことが判明した。世代や教育の影響が論じられたが、それらもトランプ票を十分には説明できない。そんな中、トランプ氏支持を最もよく説明するとして注目されたのが「権威主義」だ。政治体制のことではない。個人に存在する心理的傾向のことである。
アメリカにおける権威主義の研究は、ファシズムを支持した人々の心理的特徴を捉えようとした、ドイツ出身の社会学者アドルノらの1950年の著書を嚆矢(こうし)とする。90年代に政治学者の間でリバイバルがあり、研究の蓄積が進んだ。そして、トランプ氏が共和党の大統領候補に選出された予備選挙の段階で、ある大学院生が発見する。「権威主義者たちがトランプを支持している!」
権威主義者と呼ばれる人々は、2大政党のどちらの支持者にも存在するが、徐々に共和党に集まるようになっていることは知られていた。そうして共和党内で力を増した彼らが党の本流をなす保守主義者たちを抑え、ダークホースのトランプ氏を大統領候補に押し上げたという。さらに大統領選挙の本選では、民主党支持層や無党派層の中にいた権威主義者たちもトランプ氏を支持した。
権威主義者とは何者か。
アメリカの政治心理学者ステナーが2005年に発表した有名な研究によれば、権威主義者は「一つであること、同じであること」を求める。「違い」を嫌い、多様性が苦手だ。強制的手段を用いてでも規律を全体に行き渡らせてくれる強いリーダーを好む。
個人のこうした傾向を意味する権威主義は、普通、あまり表に出てこない。だが、ある条件下で活性化され、表面化する。ステナーは面接調査により、次のような発見をした。権威主義者は、政治指導層に問題があると思う時、あるいは社会から共通の価値観が失われていくと思う時、「違い」に対してより不寛容になる。それは人種関係、道徳観、政治的見解、刑罰など、寛容が問われる全ての領域で起こる。逆に確かなリーダーシップと共通の価値観が保障される時、権威主義者は不寛容を表さず、差別是正など進歩的な社会改革の支持者にもなり得る。
権威主義は決して異常な傾向ではない。誰もが集団に従うことと、個人の自由との間で折り合いをつけて生きている。そのバランスが前者に傾く人が権威主義者であり、その反対がリバタリアン(自由至上主義者)だ。リバタリアンは「違い」を楽しみ、多様性にストレスを受けない。アメリカの白人有権者の44%が権威主義者ともいう。あなたが、私が、権威主義者でもおかしくない。
権威主義は保守主義とは違う。保守主義の不寛容はすでに不寛容が存在している特定の領域に限られるが、権威主義は「違い」全般に不寛容である。保守主義者には受け入れやすい「安定した多様性」を権威主義者は嫌う。逆に権威主義者が好む「共に変わっていく」というビジョンに保守主義者は怖気(おぞけ)をふるう。アメリカには国家の介入を嫌う保守主義の系譜もあるが、権威主義者は場合によっては国家の介入を歓迎する。
面白いのは、権威主義者が子育てに関する質問によって見分けられることだ。たとえば、子供には「行儀の良さ」と「思いやり」のどちらが重要かという質問に、前者と答えるのが権威主義者だ。「行儀の良さ」を重視する人々の間では、どの所得層でも一様にトランプ票が多い。
さて、トランプ氏は大統領選挙に際して、ワシントンの政治指導層の腐敗と失敗を執拗(しつよう)に言い立てた。さらに当時から今日まで一貫して、特に中南米からの移民に関して、犯罪者を多数含む、アメリカ人の価値観とは相いれない不法移民が大量に国内に流れ込んでいる、というイメージを喧伝(けんでん)し続けている。
これらは誇張と虚偽を含む主張だが、少なからぬ人々の権威主義を活性化させた可能性がある。彼らは突如、あらゆる「違い」に不寛容となり、自分たちとは違う個人や集団に対するトランプ氏の攻撃をすべて支持し始めたかもしれない。
トランプ大統領が乗じる不寛容やそのより過激な形態であるヘイトは、経済的困窮が生んだものでも保守主義によるものでもなさそうだ。それは権威主義が人々に引き起こしたものであり、多くの人においては忽然(こつぜん)と現れたとも考えられる。
明日は私たちのことかもしれないと身構える必要はあるだろう。
◇
とよなが・いくこ 専門は政治学。早稲田大学教授。著書に「新版 サッチャリズムの世紀」「新保守主義の作用」。
コメント
コメントを投稿