うーむ……読み返すと余計にわからなくなったような気もしますが。
マツケンへ:
まだかなり曖昧な概念だけど、口頭説明よりは多少は伝わるような気がするので……
まず、「最後に残った選択肢が最善手」から。
いちばんよい手=最善、というよりも、自分の考えはこの考え方に近いような気がします。でも「最後に残った選択肢」という部分の表現は必要で、それは、そこに至るまでにいろいろ考えたり、試行錯誤があったり、その過程こそが大事。
その「経緯=人生」。「ああでもない、こうでもない」の部分こそが人生で、その意味のないものにこそ、意味がある(と思うのがヒトの常。「意味」こそ、ヒトの作り出した概念で、それにこだわる生物はヒトぐらいしかいない……菌類なんかに意思があるかないか、みたいな研究をみたことがあるから、将来、ヒトだけではないのが解明されるかもしれない)。
その「経緯=人生」。「ああでもない、こうでもない」の部分こそが人生で、その意味のないものにこそ、意味がある(と思うのがヒトの常。「意味」こそ、ヒトの作り出した概念で、それにこだわる生物はヒトぐらいしかいない……菌類なんかに意思があるかないか、みたいな研究をみたことがあるから、将来、ヒトだけではないのが解明されるかもしれない)。
「ああでもない、こうでもない」と友人(=自分以外の個体すべてがそうあって欲しい)と駄弁ったり、「ああでもないこうでもない」の行動を共に行うこと、それが人生。意義があるとしたらそこにあり、意義を感じさせてくれるわかりやすいものをぼくらは求める。例えばBBQ。火、非日常、肉を分かち合う、狩りが加わればさらに良いよね。「そのように喜びを享受・共有するように(プログラムによって)ヒトは組まれている」と思う傾向があれば、神様の存在はより信じやすくなり、幾分、生き易くなる。
ぼくは「ヒトは進化の過程でなぜかそうなってしまった」と推測しています。それはマツケンに引き取ってもらった「倫理の本」にも書かれている。ぼくらがこうなってしまったのは偶然の重なり合い。で、その因果関係をより詳しく解明した研究者たちの叡智の蓄積によって、それをいつの間にか「必然」のように感じてしまうのが、やはり理由を求めるヒトの習性。その背景にあるのは「死」だと思います。
誰もがいつか死ぬことに気づいてしまった。そこでぼくらは怖いと思った。怖いと思うことで、生へと意志が向かうから。恐れるあまりに、「死んだ後は天国にいけるから大丈夫」ともなった。「正しく生きないと地獄へ行くよ」ともなった。それらは大嘘だと思いますが、素晴らしい概念だといまは思います。これも若い頃は素晴らしいとは思えなかった。そう思えるようになったのは、理想通りに、自分の考えた通りに自分自身ですら変えられないことに経験上気づいたから。まぁいいや、と自分を受領することの大切さかな。
ちょっと話がそれるけど、「左の頬を叩いたら右の頬を差し出した」イエスを叩き続けたのは、彼のお父さんのような気がしています……で、いま、あるURLを添付しようと思って、かなりググったけど、なくなっている。(追加:8/17。ありました! このHP)
浅野典夫さんという高校の教師が実際に高校で講義した世界史の内容をまとめていて、もう20年近く前に見つけて、すごく感動したのを覚えている。あまりによい内容で、実際に上下二冊で本になったんですよ。で、本のバージョンは長さの関係で割愛されている部分が多い。どの部分かと言うと、イエスの母マリアが処女のままイエスを産むことは不可能で、浅野さんの推測はマリアがイエスの父と結婚する前に誰かと浮気したんじゃないか、と。いま「イエスの養父=ナザレのヨセフ」のWiki解説を読んで、すでにそこそこ安定した学説になってますね、その浮気の部分が。ぼくは、30前に「右の頬も差し出せ」という真理に気づいたイエスを、実際に存在したヒトとしてかなり尊敬する。崇拝ではなく。
で、2000年後の香港に飛びますね。香港ではぼくは1年会社勤めをした。だから思い入れがあって、この動画みて。
イエスの影響でしょ?
話を戻します、というか、マツケンに教えてもらった概念について。
バタフライ効果
「ポピュラーカルチャーでのバタフライ効果の引用のされ方を見ると、この言葉が示すところの一側面しか理解されていない」の部分はよくわかる。マツケンが意図したのは、Wikiの解説の前半の部分ですよね? なんとなくわかったような気にはなってるけど……
後半の部分は同意です。前半の部分はぼくはまだ完全には理解できていません。
8/4、朝起きる。冷蔵庫を開けて、麦茶を飲む。飲まない、って選択肢もあるよね? 飲まなければ脱水症状になって、マツケンはぼくのうちに来なかったしれない。
電車に乗る。乗り換えを間違える。いや、実際に間違えた。遅れた。もし誰かが「もう先に行っちゃおう!」とか言って、ぼくが同意していたら、マツケンはぼくのうちに来れなかったかもしれないよね。まあ、でも、あり得ない。
実際の話、遅れていいんですよ。ガンガン遅れるよ、中国人は。待ち合わせに2時間遅れて、謝りもしないし、誰もその遅れた人を責めない。ぼくは中国で暮らして「=ライフ」、その責めない文化・習慣を素晴らしいと思った。だから、確か最後、帰り際にも車の中で「今日は遅れてすみませんでした」ってマツケンは言ったよね。ちょっと驚いた。「ああ、やっぱ日本だ」と思った。でも次は遅れないでね……と言いながら、次回も全然遅れていいからね!
もう一例。「泳ぐ?」のメールをぼくが出さなかったとする。マツケンは水着を持ってこなかったろうと、推測します。結果、あなたは泳いだ。溺れなくてよかったね。溺れていたとする。ぼくは後悔したと思う。多少ね。「一生」後悔なんかしていたら、やらなければいけないことができなくなる。「やらなければいけないこと」。ほらね? ぼくも自分の人生に意義を求めているでしょ? 意義なんかないのに。
なんで、「泳ぐ?」のメールを書いたと思う? 水曜に泳いだ人はふたり。ふたりは、より楽しそうだったから。前の日に炭を作っておいたのも、水曜は暑すぎて大変だったから。じゃ、どうして自分はそうしたか? 皆に楽しいと思ってもらいたかったから。どうしてか? 寂しいんだと思う。「つながり」を感じていたいんだと思う。そういう自分の意識に気づき、嬉しくも、虚しくも思います。
もう一例:ぼくの家のドアの上の物体。ある晩、梅雨の頃からな? 夜中、ドアを開けて驚いた。一面にナメクジ。100匹近く。それであの乾いた物体を「ナメクジがそこで息絶えた」とぼくは思い込んだ。「なんて可哀相な人生だ」と思った。ナメクジにもライフはあります。始まりがあり、終わりがあれば、その期間をライフと呼べると思う。
で、ドアの上の物体を見て、マツケンのことをちらっと思い出した。「これ、見たがるだろうな」と。あなたが虫好きなのは知っていた。だから、そのままにしておいた。当日まで維持できればいいな、と思いながら。結果、それがチョウの蛹であることを知った。マツケンに言わなかったこと。もう1つ2つ同様の蛹があって、それはぼくが息を吹きかけたら、風に散るように粉になって消えたんだよね。あの瞬間をあなたに見せたかった。で、ドアの上にまだ2つ残っている蛹。次にあなたが来るまえに風で飛ばされるんだろうね(保坂和志の本は、この手の思考を丁寧に記録したエッセイです。小説と読んでもいいと思う)。
すっかり「文学的」になってますけど、こういう「一切合財の計算をAIでやっている研究者はいないだろうか?」って思うんですよ。やっていることは誰もが同じ。目的は同じ。
再度、マツケンの依頼に答えると、「真理はもうとっくの昔に見つかっていて、たくさんの人がすでにそこらじゅうに書いている」。
ヒトは繋がろうとしているんじゃないかな? オス・メスがつながるのは命=ライフ、の摂理だけど、ヒトは無関係の個体にも愛情を感じる。程度の差こそあれ。哺乳類特有のものかもしれないけど、鳥類にもあるからね。pair bond=1雌1雄の繋がり、は鳥類に多いから、もしかしたら、ぼくらが「愛」と呼ぶものは、そこからの派生かもしれない。で、ぼくはそういうことをAIなんかを導入して解明しようとしている研究なんかに興味があるんですよ。ぶっちゃけ、どの分野でもいいです。すべては最後に繋がっていることがわかるだろうから。
いま読み返したけど、大した説明になってないですね。でも、あなたには何かが伝わるだろうと思ってます……で、それはあのメールの「death」から始まっている。BBQに誘ったのは、あの後じゃない? 前だったかな? まあどっちでもいいや。
(建築の「美」。答えは、いろんなパラメータのバランス。計算でもやってみたいけど、まずは自分が美しいと思うもののデッサンが最速だと思ってます。デッサン中に思考を言語化してメモを取ること。AIの力で解明したいことは、やっぱり「生きる意味」……それが「美」とつながるかどうか、ってこと……)。
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