Nについて

先週お祭りで、その打ち上げをぼくの同級生の経営する料理屋でやって、数十年振りに旧友に会った話はさらっと書いたけど、今日ランチを食べに行って、比較的空いていたから、いろいろ訊くことができた。

気分は重いけど、書く。書いて記録に残す。

N。病死。

中学卒業後、ぼくがNのことを思い出したのは、たったの2度。

1度目。
3年か4年前、ある理髪店。卒業した中学の話になり、自分の中学名を出すと。「Nさん知ってる?」と。この理髪師とその弟がNと面識がある、ぐらいの話だった。

2度目。
その20年ぐらい前、別の同級生からNの近況を聴いた。「ヤマハでドラムの先生をしている」と。で「森高千里のバックも経験した」と。

その同級生とぼくは中学時代、バンドをやっていて、彼はドラムだった。で、彼が冗談っで「森高が"Nさんのビートってすごいですよね、誰に習ったんですか?“だってさ。オレに決まってるら!」と。「へぇー、あいつ、いつの間にかドラム始めてたんだね」とぼく。

今日、M保に伝えたNのもう1つの思い出。

彼は高校受験に失敗した。公立も私立も落ちた。中3最後の日、Nがいないとき、担任が皆に言った。「みんなも知ってると思うけど(Nが全部落ちたこと)、NがぼくとK先生(副担任)にボールペンをくれた。長く教師をやってるけど、初めてだよ。もったいなくて、使えない……」。一同シーン。ぼくはNに同情すら感じていなかった。

M保はクラスが違うから、この話は知らなかったはず。ぼくも今日まで忘れていた。ぼくは中2三学期からの転入生だから、ちょっとみんなとは距離があって、でも決してそれは他人行儀な感じではなく、ちょっと大事にもてなされているお客さんみたいな感じだったと思う。

「くん」付けで呼ばれていたのは、ぼくだけだったと思う。M保は下の名前だけど、この中学では比較的、下の名前で呼ぶ。田舎だから同じ名字が多いという背景もあるとは思う。でも、人の距離感が近かった。前の中学はもっとドライで、勉強も厳しかったし、教師の教え方もうまかった。この中学はもっとゆるく、皆がとても仲良かったと思う。

Nは基礎学力という点では劣っていたと思う。でもこのブログでAIのことをよく書いているように、座学的な旧態依然とした勉強方法はもうまったく必要なくて、今後教育も大幅に変わってくる。そうしたら、Nが高校に落ちることはないし、もっと早くにドラムを叩き始めていただろうと思う。ぼくが一緒にバンドを組んでいたSは当時も、いまも(きっと)森高千里のバックをできるほどうまくはないはず。

でもあの頃、40年前、ちょっと音楽をやっているだけで、皆がぼくらのことをよく思っていたと思う。少なくともぼくは自分たちはちょっとクールだと思っていた。そういうどうでもいい自意識が、あの時代はあった。少なくともぼくにはあった。

Nはどうか? 彼は絶対に人に嫌な思いをさせることのない人間だった。少なくともぼくにはそうだった。Nからいやなことを言われたことは一度たりともなかった。

ぼくなんかよりも遥かに価値のある人間だった。

合掌はしない。死人に口なし、この言葉も彼には届かない……

もうひとりのKのことは、改めて書く。

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