先日ツイッターの知り合いが大学時代の先生の話をしていた。「彼らからたくさん学んだ、感謝しかない」と言う。

自分も同じだと思う。ただ、思い起こすと、クラスを取る際に読まされた本の質が良かった、というのが正確。教授の発した一言に心が震えて、勉強の仕方が変わったというのはないと思う。

読まされた本やプリントの類に学費の8割を払った感覚がある。残る2割は、クラスメートたちの発言。いちばん覚えているのはグラノーラ(≒ヒッピー)の女子が、哲学のクラスで発した一言。クラスの後ろの方に座っていた数人から冷笑的なヤジのような発言があり(そもそも、在学中、後にも先にもヤジ的発言を耳にしたのはこれだけ)、それに対して、「手を挙げて、立って、堂々と発言しなさいよ」とグラノーラの女の子が平然と言った。当時ちらほら見かけるようになっていた鼻ピアスをしていた。彼女は裸足だったかな? いや、サンダルだったかもしれない。

内容は政治的な話。湾岸戦争が勃発した頃で、おそらく(パパ)ブッシュ支持層の数人が、教室の後の方から何かを言ったのだと思う。当時のモンタナは多分、共和党支持層が気持ち、民主党支持層よりも多かったと思う。ミズーラに限って言えば、ほとんど民主党支持層。学生は軒並みリベラルで、自称リベラルの自分も心地よかった。

教授が、彼女の「堂々としなさいよ」発言のすぐあとに、「〇〇〇〇(グラノーラの子の名前)、あなたがクラスにいてくれて、ほんとうれしい」と続いて言ったのをよく覚えている。

教授は軒並み親切で、大方、その分野で博士号を取っているからそこそこ博識なのは当たり前で、そういう意味で強く印象に残っている人はいないけど、T.A.に言われた助言はよく覚えている。

Peter Fong
Independent Writingというコースを3,4回取った。T.A.と1対1。週1時間x1回 、1単位。4年のときにPeterから教わった記憶がある。彼は当時MFAの大学院生。それまでIndependent Writingで教わった数人のT.A.よりはるかに厳しく、丁寧に読んでくれたから印象に残っている。英語は自分にとっては外国語だから、その部分の指摘も丁寧にしてくれて、これはとても役に立ったし、同時に「外国語として書いているからか、ぼくらではなかなか書けない表現でいいよ」的な指摘もあり、その詳細な議論(「ここまで書くと不自然」とか「微妙」とか、その匙加減)がいちばん勉強になった。

いちばん感謝していることは、「読者に伝えたいことはこういうことだろ? ぼくならこういう書き方をする」的な視点からのアドバイスが多かったこと。ダントツでPeterが好きでした。

上のURLの記事にあるように、ついに小説を出版したみたい(さっき買ったばかり)何年か前には東京にも数年滞在してたみたい。

紹介文だけ読むと、モンタナっぽいけど、彼はNY出身。

Phil Condon:
この人はT.A.じゃなかったのかもしれない。もしかしたら、インストラクター。3単位出るクラスだったから。当時はまだ本は出してなくて、短編があちこちで掲載されていたレベル。この人も真摯だった。 コメント量が膨大で、褒め方がうまいのか、ぼくの書き散らかしたものに丁寧にコメントをつけてくれた。

やっぱり外国語的な独特さがあったのか、文体を褒めてくれた。たぶん、上(学部長あたり)から「褒めろ、それが仕事だ」みたいに言われていたのかもしれないし、創作を専攻する学生、特に詩人たちはギリのところで書いている人もいるから、published writers/poetsに褒められると、うれしい。I like much of your writing very, very much.と言われたのは、うれしかった。好きでない部分も、しっかり説明してくれた、彼は。

案の定出世したみたい。いまのポジションはここ。書籍物はこれら

Bill Kittredge:

モンタナではかなりの有名人。すごい酒飲みらしい。ヒギンズ・アヴェニューを千鳥足で歩いているの見かけたことがある。そういうぼくも宿題を終えて、友達の経営する行きつけの酒場

コメント

人気の投稿