ネトウヨ
古谷経衡の見立て
https://www.shoukasonjuku.com/post/post-furuyatsunehira
安田さん訴訟
もちろん、誰しもが声をあげる「べき」だとは思っていません。差別の矛先を向けられた人にとっては、まず自身の心を守ることが最優先だと思っています。ただ、伝える仕事を続けている私自身に今、持ち寄れる役割は何か、どんな声を届けていくべきなのかを、ルーツの記事を公開してからずっと、考えてきました。
差別の問題は、「心の傷つき」という問題に留まりません。ヘイトスピーチは、社会的マジョリティーの側との力の不平等を背景に、矛先を向けられた側に恐怖心を抱かせ、「声をあげたらまた言葉の暴力にさらされる」という沈黙を強い、日常や命の尊厳を深くえぐるものです。だからこそ今回、差別書き込みをしてきた相手に対し、裁判を起こすことを決めました。対象としたのは、私や父の出自をもって「チョン共」「密入国」「犯罪」などの言葉を羅列していた二つのアカウントです(この二つ以外にも、手続きを進めているアカウントがあります)。
本来であれば裁判ではなく、あなたはなぜこの書き込みをしたのか、それをしないためには何が必要なのかを直接尋ね、共に考えてみたかったと思っています。ただ、相手は匿名のアカウントです。その「誰か」を特定するためだけに、発信者情報開示を求める裁判を複数回、起こさなければなりませんでした。
その発信者情報開示を求めた裁判の判決では、書き込みは単なる誹謗中傷ではなく「差別」であり、人格権侵害であることが認められました。今回の損害賠償を求める民事裁判でも、その点を明確にした判決が出されることを願っています。
ただ、日本社会にはいまだ、包括的に差別を禁止した法律も、独立した人権救済機関もありません。「たまたま」差別が判決で認められることがある、という不安定な状況では、多くの人々が安心して被害を訴え出ることはできないでしょう。
時折、ヘイトを規制する動きに対して、「表現の自由への侵害だ」という声を耳にします。けれどもヘイトが誰かに沈黙を強いるものである以上、矛先を向けられた人々の「表現の自由」はすでに踏みにじられているのです。「表現の自由」は「差別の自由」ではないことを明確にした上で、今回の訴訟が、必要な法整備につながる一助になればと願っています。
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