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コラムにではなく、記事として書けよ!

ぼくが中3のときに父親が急に死んで(自殺ではなく、肝臓癌)、ぼくが何をしたかというと、母に頼んで、中日(=東京)新聞から朝日新聞に替えることと、西武裏の質屋で目をつけていたエレキギターを買うことだった。エレキギターは自分で貯めたお小遣いだけで、なぜかその頃は大きなものを買うときに親に許可を取っていたのだろうと思う。勝手に買えばいいのに、律儀に母にお伺いを立て、1年ほど地元のヤブ医者に通っても一向によくならない脇腹の痛みがいよいよ悪化して夜も眠れなくなった父が緊急入院した市民病院で2,3ヶ月の余命宣告を受け予定通りに死んだのだけど、エレキギターの購入許可がよくならず緊急入院していた

朝日に変えて、新聞の質が上がったことはすぐに気づいた。当時は朝日の方がはるかにリベラルだったから。いまは変わらないはず。中日新聞は東海地方ではシェアNo.1なんだけど、中3のぼくが読んでも朝日との差は当時はあった。

 

改憲論は耳目引く道具か 「詰め放題」憲法審の耐えられない軽さ

編集委員・高橋純子

記者コラム「多事奏論」 高橋純子

 激安スーパーの「詰め放題」は、ポリ袋を事前にのばしておくのがコツだ。やってみるとわかるが、ニンジンだろうがジャガイモだろうが、食材ではなく、袋をみちみちにするためのただの物体と化す。そんなにいる? 使い道あるの?だなんて愚問オブ愚問。必要かどうかの問題ではないのだ。まだいける、もっといけると詰め込むことが目的であり、喜びなのである。

 今月10日に開かれた衆院憲法審査会もまさに、「詰め放題」の様相を呈していた。憲法改正を唱えてみせること自体が目的化しており、教育無償化だのデータ基本権だの、あれもこれも節操なく詰め込まれていた。「憲法改正に向けて議論することが国会議員の責務だ」みたいなことが言われていたが、違いますね。国会議員が負っているのは憲法尊重・擁護義務です。はい。

 そもそも政策遂行のテコにするため憲法に何らか書き込もうという類いの主張は、「私は政治家として無能です」と宣言しているに等しいと私は考える。時代の変化に応じた構えや緊急事態への備えが必要ならば、とっとと議論して、たったか法律をつくればよい。

ここから続き

 かねて個人的にあたためている仮説を唐突に披露すると、与野党を問わず、スポットライトが当たらなくなり、立ち位置を見失ってどん詰まった政治家は、憲法改正を声高に打ち出したり改正私案を発表したりしがちではないか。あの人この人、個人名は控えるけれども、思えばあの悪評高き自民党改憲草案、現行13条「すべて国民は、個人として尊重される」の「個人」を「人」に変えるなどしたおそろしい代物がつくられたのも2012年、野党時代だった。

 憲法改正は手っ取り早く耳目を引くための道具か。はたまたファイト一発、ストレス発散に効くドラッグか。たまらん。

 1日に亡くなった石原慎太郎氏を、私は政治家として評価しない。数々の差別的言辞は「石原節」などといって受容できるようなものでは到底ない。ただ、敗戦時12歳だった氏の「自主憲法制定」への思い自体は、反米というスタンスと考え合わせれば、まったく共感はしないけれども理解はできる。憲法前文「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」の「に」は日本語として間違いであり、まずはこの1字を正すべきだと熱心に説いていた。「『に』の1字を変えることがアリの一穴となって、敗戦後70年にしてようやく自主憲法の制定につながる。とにかく日本人の主体性というものを回復することができるんじゃないか」(14年10月30日、衆院予算委員会)

 ところが当時の安倍晋三首相はこれに答えていわく「1字であったとしても、これを変えるには憲法改正が伴う。そこは、『に』の1字でございますが、どうか石原議員におかれましては、『忍(にん)』の一字で」。石原氏の情念をさらりと受け流し、居並ぶ閣僚らからどっと笑いが起こった。

 時流も実現可能性もまったく考慮にいれず、自身の血肉をもって紡いだ石原氏の改憲論は面倒くさくてどこか滑稽でもある。しかし、感染症まで憲法改正の口実に使おうとするケチなズルに比べれば、助詞1文字に心を砕き思いをかける石原氏の方が、真剣に憲法と取っ組み合っていたと思う。

 「三代目となれば、体験の基盤はなく、実感はじょうはつしてしまって行動の原動力とならない。(中略)うらみも、正義感も、二代かぎりですりきれてしまうものとして、消耗品の種目にいれられている」

     (鶴見俊輔「限界芸術論」)

 大人として先の戦争をくぐった世代を1代目とすると、石原氏は2代目。いま日本政治の中心にいるのはおおかた3代目。反省もうらみもすりきれた「売り家と唐様で書く三代目」の軽佻(けいちょう)浮薄を目の当たりにすればなおさら、私は、体験や実感が刻み込まれた日本国憲法に信頼している。(編集委員・高橋純子)

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