中国購買奮闘記①

「中国で何してたの?」とある人に訊かれた。米系ITコンサル(大連)独系鉄鋼のエレベータ部門(上海)日系電子の持株会社(香港)の計3社で雑用、そのあと深センで購買代行業。計10年ちょっと。あっという間だった。その詳細はなかなか面白いと自分でも思うのですが、どうだろうか……

リーマンショックが起きる直前に開業した。きっかけは、東京で内装会社をやっている藤田さんと知り合い、声をかけてもらったこと。年商10億弱ぐらいだから、そんなに小さくはないと思う。事務所とか店舗の内装。普通の家はあんまりやらないみたい。
 
ぼくはそれまで住んでいた香港を離れ、深センにマンションを借りた。お金がないから、住居兼事務所。ビザはF。当時はFビザでも問題なく仕事ができた(のちにできなくなって、にっちもさっちもいかなくなって、公安のビザ部門の人とコネを作って、なんとかできた。別の機会に書きます)。

藤田さんからの収入は、固定給月1万香港ドル、歩合5%。なんとかやっていけました、どころか藤田さんの売り方は見事だった。タイルカーペットはヒットした。無錫の工場に検品に行ったのはだったの一度。あとは、注文の度に微信で業者にメッセージを送るだけ。ぼくの手間としてはね。

探すのも、それほど苦労してない。見本となるサンゲツのタイルカーペットを受け取って、似た品質のものを安く探す。「特定品質部品」ね。「particularly qualified part」って逆の意味だからね。誤訳の発見なのに、それを握りつぶそうとしたOさん。可哀想でならない……

ほんとうは、何かあったときのためにすぐに訪問できる深セン付近で工場を見つけたかったのだけど、結果としては江蘇省になった。

最初は地元のカーペット市場を歩いて、小店舗をいくつも回った。みんないい加減なことを言う。あるよ、ないよ、あるよ、ないよ…

やりとりの詳細は面白かったけど省略する。わかったことは彼らは小売商だということ。生産者から買う方が安いに決まってるじゃん! とゾロちゃんはここで当たり前のことに気づく。天才だら〜! で、工場を探すのに「アリババ」を使えば便利なことにも気づいた。

ネット第一世代のぼくは、ネットなしには生きられない。初めて原型を見たのは、大学を卒業した93年。その秋のシアトル。データベースをローカライズする会社で働いていた頃、(ちょっと話が飛びます)その前にアラスカ沖でスケトウダラを獲る船の上の通訳兼QCを3ヶ月して、まとまったお金が入ったから、毎日昼頃起きて、シェアハウスの仲間のスティーブとネパールカレーの食べ放題を食べに行って、それから本を読んだりワシントン大学のキャンパスを学生の振りをしてブラブラしたりして、午後遅くにモンタナの時のぼくの友達エイミーの友達ローリーの働くカフェに行ってローリーが上がるまで駄弁る。

で、ローリーと映画を見たり、ローリーの友達やその友達の家になんか呼ばれて、ちらし寿司を作ったりなんかしていてそれなりに楽しかったけど、やっぱり飽きてきたので、ある日地元の日系紙に押しかけて、無料でいいから働かせろ、と頼み込み、取材に行ったり(マック鈴木のシアトルマリナーズ入団会見とか)、コレステロールの研究をしている日系人の研究者(行方さん。ホームパーティーに呼ばれて、のこのこお邪魔したらすごい豪邸でびっくり。「お金あげるから他紙でもっとたくさん書いて」と言われたけど、固辞。まっとうな物書きを目指していたから、ひひ)を取材して記事を書いたりしてお小遣い程度の報酬を貰った(北米報知社から。正当な報酬。被取材者からは絶対に貰っちゃだめ)りしているうちに、シアトルタイムスの求人広告で見つけた前述のソフトウェアの翻訳会社で働き始めた。

そこの同僚のジェイムズが、彼はバスなんだけど、ぼくが帰りに「乗ってく?」と声をかけると「うん」となり、彼のアパートまで送って行くことになった。途中、彼が「インターネットって知ってるか?」と言った。「知らない」と言うと、「見てけよ」となり、彼のPC画面の上には掲示板があって、驚いた。「チャットもできるんだよ」とジェイムズは言った……(話を戻して…)

てのが93年シアトルの話。ぼくが深センで購買活動を始めたのは2008年夏。

アリババはもうそこそこ有名でした。株も買った。ああ、売らなきゃよかった。そしたらこんなアルバイトしなくて済んだのにねぇ〜。

少量でも生産者から直接買える。アリババのプラットフォームは、英語版日本語版中国語版があって、それぞれ特徴があるんだけど、それは省略します。知りたい人は直接話しかけて。Dの人たちがアリババ経由で買うことはないだろうけど。

江蘇省のカーペット工場は実は商社を経由して買った。候補として、5社からサンプルを買って、東京の藤田さんに送ると、「南さん、スパ(ブランド名)、すごいいいよ!」と電話がかかってきた。電話で話すことはめったになかったのでよく覚えてる。

織りの感じが似ているらしい。値段も安いから「売れるよ、これ」と。3ヶ月には売れだし、半年後には月に40フィートのコンテナ2台ぐらい売れ始めた。

楽天での小売と、同業他社への販売が主で、実際に藤田さんの会社がオフィスの改装工事をする際も使ったらしい。

で、タイルカーペットとほぼ同時に始めたのがLED照明。これも売れた。シャープが2980円の電球を売り始めた「シャープショック」までは。直管型はしばらく安定して売れた。

この頃がいちばん楽しかった。日本の市場はどんな業界でも軒並み閉鎖的で、外国企業が参入しづらいようにいろんな仕掛けを作る。直管の場合は、管長。40Wタイプの直管でもヨーロッパやアメリカで普及しているものより1mm短いんですよ。なので、ヨーロッパやアメリカ向けの輸出の方が圧倒的に多い中国のLED照明生産者に、「1mm切って」とお願いする。コストになるよね? 「POが300pcs以上の時、追加料金なしで切って」と交渉する。その一切合財が楽しかった。今となってはね。

メイソンという、中国のLED照明業界で10本の指に入る企業を訪問したときのこと。ぼくは費用をすべて正確に正直に計上して藤田さんに請求するから、時間に余裕があるときは、公共交通機関で移動する。もともとバスが好きだし。

で、メイソンは深センの石岩という地区の外れにあって、不便だった。いちばん近く迄バスを乗り継ぎ、最後の2kmはバイクタクシーとなった。オートバイのおっちゃんの後ろに跨いで、しばらくすると雨が降ってきて、びしょ濡れ。

出迎えのメイソンの営業マンに「バイクタクシーでやってきた日本人は初めてです」と驚かれた。

「最初で最後でしょうね」とぼくは誇らしげに言ったさ。

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